話を聞いたのは…
株式会社トゥエンティトゥ 代表取締役CEO
鈴木 悠史(Yushi Suzuki)
1995年生まれ。2017年に早稲田大学法学部を卒業後、博報堂DYデジタル(現Hakuhodo DY ONE)に入社。2023年1月に合コンマッチングサービス「コンパイキタイ」の開発・運営を行う株式会社トゥエンティトゥを設立。
インターネットにのめり込んだ中高時代
ここまで合コンマッチングサービスについてお伺いしてきましたが、ここからは鈴木さんの事についてお伺いしていければと思います。
ご出身はどちらですか?
東京の中野区です。公務員の父親と専業主婦の母親がいる、一般的な家庭でした。
鈴木さんは子供の頃はどんな少年だったのでしょうか?
人と違うことをするのが大好きな少年だったと思います。そして熱中するものを見つけたら昼夜問わずにのめり込む性格でしたね。
例えば、どんなことがありましたか?
中学生の頃にインターネットにのめり込みました。きっかけはブラッディ・マンデイ(TBS系)でハッカーが活躍するのを見たからです。
食い入るように読んだのは、インターネットの仕組みについて解説されていた「BLOODY MONDAY ファルコンのコンピュータ・ハッキング」という本でした。
一通り読んだら次は自分で情報の発信をしようと思い、中学3年生のことにはブログを立ち上げて書いていましたね。
最初ははてなブログで書いていて、途中からblogger(Googleが運営するブログサービス)に移行しました。
鈴木さんが中学生の頃というと、ちょうどはあちゅうさんなどが活躍していたブログブームの頃じゃないですか?
そうですね、はあちゅうさんのようなブロガーを目指していなかったですが、自分だけが知っている情報に意見を加えて全世界に発信するのはかなり楽しかったです。
他に「他の人と違う経験」をしたことはありましたか?
実は、中高一貫校に入っていたのですが、高校受験をしました。
これはかなり珍しくて、1学年(300人)の中で2~3人しかいなかったと記憶しています。
受験をしたのはどうしてですか?
城北学園城北中学校という板橋区にある進学校に通っていたのですが、そこの先生から「うちの学校は浪人が多い」という話を聞いたからです。
情報は自由な校風の男子校で、校舎やグラウンドが広いため部活に打ち込む生徒がかなり多いです。
中高で6年間あると、部活に打ち込むに加えて、どうしても中弛みの時期が出てきてしまい、そうなるとどうしても他の高校生に追いつくことができなくなり、最初の受験に失敗してしまうんです。
浪人の時間はシンプルに無駄ですし、自分の性格的に追加で1年間のロスタイムを与えられたところで勉強をするか怪しかったので、大変な受験は中学生の頃に経験しておこうということで、大学の附属校に行こうと思いました。
結果はどうだったのでしょうか?
無事合格することができ、2010年4月に早稲田大学系属早稲田実業学校高等部(通称早実)に入学しました。
早稲田大学の附属校であり、甲子園の常連校ですよね。
はい、私は野球部ではなかったですが、野球の応援では紺碧の空を全力で歌うことができるので本当に楽しかったです。
中高の間でも、インターネットへの興味はずっと続いていたのですか?
はい、Twitterは高校生の頃から使っていましたし、InstagramやNetfliixなどのサービスは日本に上陸してからいち早く使い始めました。
インターネットを通じて宝石のような素敵なコンテンツに触れることができ、世界中と繋がることができるという魅力に取り憑かれてしまいました。
僕は1995年生まれで、この年はWindows 95の発売となるインターネットの歴史において重要なマイルストーンとなりました。
日本のインターネットの幕開けの年に生まれたので、インターネットが好きになるのは運命だったのかもしれません。
授業にサークルに大忙しだった大学時代
高校が早稲田大学の附属校ということで、卒業後は早稲田大学に進学されたのですよね。
大学時代もインターネットに触れていましたか?
はい、2013年に早稲田大学法学部に入学しました。
その頃には、僕にとってインターネットはなくてはならないものになっていました。
SNSもNetflixなどの動画配信サービスも使い倒していましたが、普段の生活はサークル・バイト・勉強で忙しくて情報発信することは全然できなかったですね。
また、法学部は論述試験が中心です。そのため、テスト勉強にかなり多くの時間を取られてしまします。
テスト前になるとインターネットを使うことはストップして、教科書・授業のレジュメ・六法全書を睨めっこする日々が続くことになりました。
サークルは何をされていたのですか?
1年生からは早稲田祭運営スタッフに、2年生からは早稲田大学放送研究会というサークルに入っていました。
放送研究会ということは、アナウンサーを目指されていたのですか?
アナウンサーになる人がいくサークルというイメージを持つ人もいるかもしれませんが、サークルの中のアナウンス部に入っている人だけです。
年によって異なりますが、アナウンサー志望は大体2割ぐらいではないでしょうか?
鈴木さんは放送研究会でどんなことをされていたのですか?
映像技術部という部署で、映像機材を取り扱っていました。また、番組企画の仕事をしていました。
番組企画の仕事というのは、テレビ番組のプロデューサーのようなことですかね?
番組の企画案を出し、番組内容を詰め、出演者交渉をし、番組収録当日にはスタッフに指示を出すなど、番組に関わる全てのことをします。
なので、プロデューサーとディレクターを合わさったような仕事と言えると思います。
責任重大で、大変ですね。
企画責任者という役職なのですが、それを務めている時には本当に寝る時間がないほど大変でした。
それが就職活動の直前だったので、就職活動の準備は一切できていなかったですね。
大学卒業後は広告業界の道へ
放送研究会だとマスコミに進む方が多いイメージです。
いえ、実はマスコミに行く人はそこまで多くはなく、多くの人がメーカーや商社などの大手企業に就職していきます。
ただ、私は企画責任者の仕事が面白かったこともあり、マスコミに行くことしか考えていませんでした。
そして、放送研究会の番組は見ることができる人が限られていたいので、「さらに多くの人に影響を与える仕事がしたい」と強く思いました。
そこに、「インターネットが大好き」という自分の興味を掛け合わせ、インターネット広告業界を目指しました。
結果的に博報堂DYデジタルという会社から内定をいただき、入社することを決めました。
法学部と広告は、雰囲気が正反対な気がします。
周りは司法の道に進む方も多いと思かったのではないでしょうか?
早稲田大学の法学部からロースクールに進むのは2~3割ではないでしょうか。
私が大学に入学した2013年は、司法制度改革が上手くいかなかったのがわかってきた年で、司法試験を見据えていない人が多い印象でした。
法学部ということもあって真面目な人が多いので、ゼミの同期は金融業界に行く人が多かったですね。
一般企業、特に広告業界へ進むことは不安にならなかったのでしょうか?
不安はなく、がむしゃらに仕事ができることのワクワクしかなかったですね。
ただ、2016年に電通の社員が過労により自殺した事件(いわゆる電通事件)があり、親からは心配されました。
「あなたのところは大丈夫なの?」という質問は数十回受けた気がします。
入社後はがむしゃらに仕事をすることができましたか?
はい、できました。
研修後の配属先は、TBWA HAKUHODOでした。
ここは博報堂グループと海外の広告代理店の合弁会社で、本社のある赤坂からも目が届きにくい状況でした。
それをいいことに、最初の1年は働きまくりましたね。
どのような仕事内容なのでしょうか?
広告代理店だと「CMを作る」という仕事をイメージされることが多いと思いますが、「CMを作る」のを担当する営業は制作営業と呼ばれます。
私は制作営業ではなく、メディア営業という役割で、お客様に「ここにこれぐらいの予算で広告を出しませんか?」と提案する仕事です。
入社した2017年はデジタルメディアが静止画から動画に変わる大きな流れがあり、YouTubeの運用型型広告やTwitter(現X)の予約型広告などを中心にブランディング広告を出稿していました。
クライアント企業は、やはり外資でしたか?
はい、TBWA HAKUHODOは外資の広告代理店なので、クライアントは全て外資系企業です。
私は保険会社、家具会社、アパレル企業などを担当していました。
ただ、3年目の頃に急遽異動となりました。
TBWA HAKUHODOから博報堂への異動で、それに伴ってクライアントも国内の自動車メーカーとなりました。
自動車メーカーとなると、デジタル広告よりもテレビCMのイメージがあります。
デジタル広告を売るのは大変ではなかったですか?
とにかく大変でした。予算の多くをテレビCMに使っている広告主で、「デジタル広告は多くてもこのぐらいだよね」というのが社内と広告主の両方にありました。
デジタル広告のメリットは細かい効果測定が出来ること、そして狙ったターゲットに正確に当てることができることです。
丁寧に広告主に説明を行った上で、デジタル広告のメリットが強く出る施策を提案していきました。
鈴木さんがその自動車メーカーの担当となって、売上は上がりましたか?
広告代理店の売上は「メディア仕入れ額」という言い方をするのですが、「メディア仕入れ額」は大幅に上がりました。
社内の制作営業や広告主との丁寧なコミニケーションを行なった結果で、嬉しかったです。
一方、広告主の売上という点で言うと、私が担当になったことで売上が上がったのかは正直分かりません。
というのも、担当した自動車メーカーは商品力で他社を圧倒しており、広告によって販売店への総客を行わなくても、自動車を購入するユーザーが多くいました。
車種によっては数ヶ月も納期待ちとなっていたりしたので、最終的には「もう弾がないので、これ以上広告を打ってもしょうがない」となったほどでした。
独立の理由
そんな順調にキャリアを重ねている中で、鈴木さんが独立をしようと思ったのはなぜなんですか?
理由は3つあります。
1つ目は、デジタル広告業界でこれ以上のキャリアを重ねることにワクワクしなかったからです。
デジタル広告が好きなので、転職する時にはそこの軸はずらしたくないと思ったのですが、転職先の候補となる「広告代理店」「メディア企業」「アドテク企業」のどれを見ても楽しそうと思えませんでした。
私は広告主の方がどのように思っているか、どうしたいかを直接聞いて提案を持っていくのが好きなので、代理店から情報をもらうことが多い「メディア企業」「アドテク企業」ではそのようなことはほとんどできません。
一部、Googleやメタなどのプラットフォーマーと呼ばれる会社は広告主と直接やり取りを行なっていますが、自分の会社が持っているメディアしか売れないというのは幅が狭すぎるので、ストレスを感じるのではないかと思いました。
そうなると「広告代理店」しか残っていないのですが、年間数十億というデジタル広告の予算を持っている自動車メーカーの担当をやってしまうと、これ以上はないと感じてしまいます。
もちろん、さらに予算規模が大きい広告主の担当になるという選択肢はありますが、予算規模だけではなくプラットフォーマーさんや他代理店との取り組みで勉強になることが非常に多く、部署移動後の3年間でやり切ったと感じていました。
クライアントによるところもあると思いますが、鈴木さんと同じように数年やって「やり切った」と感じてしまう方も多いのでしょうか?
いえ、少ないと思います。
デジタル広告業界は働き方も、どんなことをやるのかも自由であり、細分化された領域がそれぞれ広い業界です。
そして、「広告主の話を直接聞いて提案を持っていく」というのは反応が分かりやすい反面、お叱りを直接受ける大変な立場ということも事実です。
なので、「デジタル広告業界の中で領域を移っていく」もしくは「広告代理店の大変さが嫌になって、メディア企業やアドテク企業に移っていく」というパターンが嫌なように思います。
もちろん、メディア企業やアドテク企業はお叱りを直接は受けないというだけであって、それぞれ大変なことはあると思いますが。
広告代理店は、大変だけど、やりがいのある仕事ではあるということですね。
まさにそうですね。
2つ目は、デジタル広告業界で学んだことは、他の領域で活かせるのではないかと考えたからです。
私は「自動車ディーラーへの来店予約数を上げるために、デジタル広告の施策を立てて、最適化を行なっていく」という、いわば自動車メーカーのデジタル広告領域のマネージャーというような仕事でした。
何か物やサービスを売ろうとした時に、広告は絶対に必要であり、中でもデジタル広告を使わない広告施策というのは今の時代ほとんどありません。
デジタル広告の基礎知識が叩き込まれていて、さらに売り上げを伸ばすための媒体・広告最適化のやり方を知っている自分であれば、他の業界で売り上げを最大化できるのではと考えたのです。
「マーケティングは経営そのものである」ということも近年盛んに言われるようになってきており、デジタル広告の知識・経験も評価されるようになっていますよね。
他の業界にいく人も増えているのではないかと思います。
しかし、デジタル広告業界から他の業界に行く人は少ないのが実情です。
自分たちの能力を過小評価してしまい、業界の外に行くことに二の足を踏んでいるのだと思います。
起業をして、自分の力を試してみたい
3つ目の理由ななんでしょうか?
3つ目は、起業をして、自分の力を試してみたいという強い欲求を持ったからですね。
私は、「どうしても起業したいと思った人以外は起業はしてはいけない」と常々思っています。
それは、利益を上げなければ生活できないというプレッシャーと、誰からも守られない孤独と戦う大変な世界であり、それに打ち勝つには「どうしても起業して成功したい」と強く思うことが絶対に必要だからです。
幸いにも独立心旺盛な性格でしたので、私は「会社を辞めて起業する」というステップを踏み出すことができました。
起業をすること以上に、利益を生み出し続けることが大変だというのはよく聞きます。
どのような気持ちで日々お仕事に取り組んでいますか?
特別なことは何もありません。
自分自身が時間の投資家だという意識を持って、有効だと思われる追加開発や広告施策に自分の時間を最大限投資するしていきます。
ありがとうございました。
鈴木さんのご活躍をお祈りしております。